ポール・グレアムの「哲学入門」っていうエッセイの日本語訳を読んだ。
なんか予想以上につまらない内容だった。次は、「宗教入門」だろうか。
PGは最近こういう類いの詰らない煽りを書くような気がする。なんでだろう。
哲学をハックする、ということなんだろうか。それが、PGの視点では新しいことなんだろうか。
実用的/実践的な哲学をアリストテレスから遡って構築しなおしてみる、ってのも別段新しいとも思えない。
というか構築しなおすなら、アリストテレスから連綿と続く哲学の体系は、別に必要ないんじゃないだろうか。
"哲学という權威"を解体してみたいってことのだろうか。
実践的というか実用的な哲学ということであれば、エッセイにも出てくるヴィトゲンシュタインが一番簡単で理解しやすいんじゃないかと思うし、PGの哲学の捉え直しというものが、ヴィトゲンシュタインの論理哲学論考の範囲を越えるとは思えない。
特にヴィトゲンシュタインの論理哲学論考は数学的な難解さは別にして、自力で自分の哲学を構築しただけに、歴史に負うところも無く単体で成立しているようなものなので理解もしやすく、言葉の定義もすっきり明確。芋蔓式に過去の哲学者を勉強したりする必要もない。箇条書になっていて適当に気に入ったところを考えてみたりすることができるので、意味のないことを考えることが趣味の人には良い問題集なんじゃないかと思う。後期はそうでもないけども…。
何が一番自分にしっくりこないのかと考えると、やっぱりこういう「ハック」というものは、結果とか意味とかが明確な有益なものにだけ有効な方法論なんじゃないかと自分は思っているからかもしれない。もしかしたら、哲学というのは、一生掛けて苦心惨憺して考えた末、結局何にも生していないような哲学者の生涯を観賞して楽しむものなのかもしれない。何にしろ役になんか立たないし、何かが分かるようになるとも思えない。