2007年10月13日土曜日

勝ち負けにこだわる

自分は良く人様に勝負を挑むことが多いので、「また、そんな、人生勝ち負けじゃないですよ」とか嗜められることが良くあったりする。
自分としては、人生勝ち負けじゃないってのは当たり前の話で、なんで噛み合わないのかしら、それとも自分は、勝負挑み過ぎなのかしらん、とか思っていたが、視点が全然違うのかもしれないと、ふと思うのだった。
自分の視点としては、勝負を挑むというのは、自分の技量を高めるため、もしくは単に楽しみの為に挑んでいるというところがあって、別に勝ったからなんだって訳でもないし、負けたからどうしたという訳でもない。自分のレベルが上がればそれで良しという感じで、自分のレベルを上げるには人と楽しく競争するってのが一番だと思っているので、勝負を挑むという感じ。まあ、単に楽しいと思うんだけど。
でも、競争が嫌いって人は、そういう見方をしてる訳じゃないみたいで、どっちかっていうと、「負ける」ということに焦点を当てて考えてるっぽいなと思えてきた。単に負けるのが嫌い、もしくは、負けるとダメージを大きく受ける人な気もする。
多分、本人のレベルが上がることより、人に負けないということの方が大事なんだろうから、この辺が噛み合わないんだと思う。
それと、勝負事が嫌いな人が敗者に優しいかといえば、必ずしもそうでない気がする。多分この辺は、無關係なんじゃないだろうか。
似たところでは、妙な感じで妙に平等にこだわる妙な平等主義者の人には、平等なら誰にも負けてない、から平等が良い、みたいな主張を感じることがある。あんまりいないけど。
ただ、パターンとしては、「自分のレベル上げ重視派」と「人に負けるのが嫌派」以外に、「人を負かすのが好き派」なんかもいる気がする。
「人に負けるのが嫌派」と「人を負かすのが好き派」も自分にとってはつまらない。というか、勝負しても利益になることは少ない。
「人を負かすのが好き派」とは足の引っ張り合いになるし、「人に負けるのが嫌派」とも勝負にならないので、ある意味勝負開始前に足の引っ張り合いをすることになる。
とはいえ、このような勝負好きパターンが自分の行動全般に言えるかといえば、そうでもなく、勝ち負けでないにしろ、苦手なことというのは「人に負けるのが嫌派」的な行動をとっているように思える。なんというか火中の栗は拾えない。