2007年12月28日金曜日

けだし同感

けだし同感、ってフレーズを目にした。
これって誤用ですよね。多分、「けだし名言」の類推から来てるんだと思う。
けだし、って結構誤用してる人が多いと思う。
意味を知らない場合、大体、辞書を引かないで推量することで間に合せるとは思うけど、「けだし」、ってのは結構、文脈上で推量が効かない気がする。
そして割と誤用してても微妙な誤用になるのでよっぽどはっきりした誤用じゃないと気付かれない。
「けだし同感」の場合、自ら感じた同感って感触は推量するもんじゃないから違和感が比較的はっきりする。
琴取れば嘆き先立つけだしくも琴の下樋に妻や隠れる

ってのがあるけど、これを解釈するのに、「なぜなら」という解釈や、「まったくもって」という解釈だとほとんどギャグになってしまうじゃないですかと思うんですがどうなんでしょう。
ちなみに、けだし同感ってのをググってみると、一番先頭に自分が変だなあ、と思った人のブログがヒットします。

2007年12月13日木曜日

パラダイム

いつの時代にも社会の基底にあるパラダイムがあると思うのだけれど、先天的に与えられた能力よりも自由意思が切り開いて行くことこそ本質的、というパラダイムは、いつ頃からメジャーになってきたんだろうか。
やっぱり、純粋理性批判っぽいってことで、カントとかその辺なんだろうか。とはいえ、この本読んだことないので良く知らないんだけど。
18世紀後半位からなんだろうか。
本質として考えられるものは、多分その時代によって激しく変化するだろうし、多分、時代に左右されない不変の根本原理と思っているものも時代によって変ってしまうんだろう。
歴史的に考えるとすると、封建社会への反撥というのが今の社会の成り立ちにあって、そういう先天的に決定された状態というものを忌避したりしてるんだろうか。
人類の英知によって人類の行く先をデザインする、というのが本質的なのかどうか。

人間の発想が、果して、人間の行く先をデザインできるもんなんだろうか。
たとえば、地球を余裕で滅ぼすだけの核兵器が作られたけれど、これを使用してしまったとして、人間が絶滅するとは限らないんじゃないかと、ふと思った。
何かで読んだ記憶があるんだけど、人類の危機的状況というのは結構あって、遺伝子の解析の結果では、人口が10万人程度まで減ってしまったことがあるのかもよ、ということだった。
60億 - 核攻撃でどれだけ死ぬか - 生き残ってからどれだけ、放射能汚染で死ぬか = 生き残りの人間 >= 10万人以上
ってのは十分考えられるんじゃないかと思った。なんの根拠もないけど。
地球温暖化の問題もあると思うけど、これも本格化するとして、60億が、10万人まで減るかどうか。

核兵器にしろ、地球温暖化にしろ、人間の英知が産み出した。
行き過ぎて、それを人間の英知が心配しているけれど、別に大丈夫じゃないだろうか。
10万人まで減った場合、今迄築き上げてきた人間の英知の結晶は大分損われるだろう。
でも、だからどうしたという気がしないでもない。
人間の知性は、未来の子供達のことを考えるには、あまりにも馬鹿なんじゃないかと思うんだけど、どうなのだろう。
コンピュータでシミュレーションして…というのは、多分、本当に馬鹿な選択な気がする。根拠はないけど。
先祖が、未来の子供達のことを考えてきてくれたお蔭で、その成果として我々があるのか、それとも、本能が色々調整してくれたお蔭で今があるのか。
もしかしたら、未来のことを考える能力はないのに、できると思い込んじゃってて、何でもできるんだから頑張らなくっちゃっと頑張っているのかもしれない。
まあ、全部妄想ですが。

2007年12月10日月曜日

どんどん世の中はつまんなくなるんじゃないかという妄想

世の中どんどん進歩してるんだと思うけれど、何か最近思うのは、人間が本能的に把握しづらいような、いわば処理系のバグが出やすいようなところをつついて進歩と言ってるだけなんじゃないかという気がするんです。
昔、銀行の預金の管理のプログラムを細工して、切り捨て分を自分の口座に振り込む細工を考えた人がいたけれど、これは本当に感心してしまうような鮮かな手法だと思う。
こういうのは人間が把握できる下限と上限を越えてるので人間は、あまり上手く対処できない。
本当に頭が良いと思うけど、やってことは処理系のバグを突いてるだけの気もする。

コンピュータの使い方には色々あるだろうけど、コンピュータに能力を底上げしてもらうという使い方と、コンピュータの能力を使って、人間が上手く処理できないところを突いて金を生むという使い方があると思う。
最近、人間が上手く処理できないところを突いて金を稼ぐぜ、ってのばっかりな気がする。
計画してか、しないでかは分かんないけど、人間の錯覚や、事物についての扱える想像力の限界をみんなしてつついて金儲けしてるんじゃないかとか思うんです。
たとえ金儲けに関係しなくても、それに似たようなことばっかりやっている。
凄く斬新なアイディアなのか、想像もできなかった凄いバグなのかは知らないけれど。
思うに、どうしてそういう所が弱いのかといえば、多分、そういうことに重点を置いて進化してこなかったから、じゃないだろうか。つまり、どうでも良いようなことだったんじゃないだろうか。
どういう事を人間は得意としてるのかは知らないが、とりあえず、それは金を生むことに関してはちょっと難しいのかもしれない。何故ならみんなそれが得意だから。
でも、多分、人間は人間の得意なことをやってた方が幸せだという気がするのだが、どうなんだろう。
あいかわらず自分でも書いてることが良く分からない。

2007年12月9日日曜日

24年ぶりの再会

9歳の時になんかのお祭りのTVでみた曲がもの凄く気に入って、ずっと探していたが、やっとみつかった。
きっかけは一昨年位に読んだ、「レボリューション・イン・ザ・バレー」で、この中にUS FESTIVALのことが書いてあって、自分が見たのってセットの感じからしてこのお祭りな気がするなあと、思っていた。それで、なんとなくの印象なんだけれど、演奏してたバンドはミッシングパーソンズだったんじゃないかなーとずっと思ってはいた。
でも、ミッシングパーソンズ自体Windows位しか聴いたことがなかったし、こういう大きいイベントに出るようなバンドだったんだろうかーと思っていたが、ふと思って、YouTubeで探してみたら、まさしく自分が見たものを発見できた!

自分が探していたのは、これのなかのWalking In L.A.だった!
この人達、格好がめちゃくちゃだ!というインパクトもあったので、これに違いない!
小学校の頃はずっとこれを探していて、シンディー・ローパーがそれっぽいと思って色々探してみたりもしていたが、今思えば、ミッシングパーソンズなんかみつかるわけないよなー。
US FESTIVALは日本でもTVで放送したらしくたまたまこれを見たらしい。ドラムもテリー・ボジオだ!

他に見たいものといえば、11PMの再現ミニドラマで、オナニーをしているところを母親にみつかるシリーズ、というのがあったのだけれど、それが見たい!
そのなかでも特に、掃除器でオナニーをしてるところを母親にみつかる、ってのが最高で、多分自分の生涯で一番面白かったコント?だった。
母親が部屋のドアを開けて目があった瞬間に「やべっ!」という表情をするんだけど、そのまま、「アッー」という感じで白目を剥くという。
そして、ぶおーーっという掃除器の音が空しく響くという。役者も多分全然無名の人だったと思うけど、最高の演技だった。
しかし、もうこういうの放送できないんだろうなー。あれ、なんでこんな話になってるんだろう。
そうだ、冗談画報もみたいなー。

2007年12月5日水曜日

迷惑だからここで死ぬな

樹海には、「迷惑だからここで死ぬな」みたいな看板があるという。
まあ、そうですよね。
地元の人からすれば迷惑だと思いますわな。
でも、死ぬ人間の側から考えれば、敢えて人に迷惑を掛けて死にたいって人もいないだろうと思う。
大体、そういう人が自殺の名所に赴くとも思えない。
良く考えてみると迷惑を掛けないで自殺できるところってあるんですかね。
きっと公的に自殺場みたいな施設があったとしたら、きっとそれなりの処理費用を払ってでも利用する人は結構いるんじゃないだろうか。
電車が止まることも少なくなると思う。
人に迷惑を掛けて自殺するのはクズとか言う人ばっかりだけど、迷惑掛けないで死ぬのは至難の技というのは考えたことがあるんだろうか。
自殺者を批判する人は、公的に自殺施設が存在することに賛成するだろうか。
多分しないだろうと思う。設置どころか、社会にそんな施設が存在すること自体恥じるのかもしれない。

嫌なことは見たくないなという集団の意識みたいなものが、自殺者と自殺現場に噴出してるようなもんじゃないのか。
自殺者と、自殺現場に遭遇した人、残された人、がその社会的に嫌なものを見ることになるんだろう。
そして、周りのあんまり関係ない人々がひどく迷惑がっているんだろう。
でも、これは社会的な歪みようなもので、それを個人規模で処理させようというのは如何なものかと思うのだ。
そういう場所に局所的に遭遇した人々がどうして苦しむことになるかといえば、周りの人間がそれに関与したくなくて助けることも理解することも拒絶してスルーしてるからじゃないのか。
自殺者の希望を叶えることは、社会が大切にしているものを壊すので、それには一切協力できないし、それは、これからもずっとあってはならないことなので、ずっと何となく現状のままなんだろう。

友人が自殺して、自分はどうして助けられなかったのかとトラウマになっている、という人が結構いるのを知った。
思うにこれも、そういう社会的な歪みを個人で背負わされてるようなものだと思う。
自殺する人を助けられるというのが、そもそも夢物語じゃないのか。
自殺する人は助けることができるという社会規模の幻想のほつれを個人が修繕しようとしているようなもんじゃないのか。
多分自殺未遂とかして、その後生きてるような人は、助けることができる人だったのだろうと思う。
でも、既に死んじゃったよう人は、多分、助けることはできない類の人なんじゃないかと思う。
この世界が必要なくなってしまったのだから、どうにもならない。
別に周りの人間が嫌いになったとか、そういう訳ではないと思う。
すべての価値を喪失しているんだから、それに執着しろってのも無理な話。
それでも、できるだけ迷惑を掛けたくないと考えて、樹海とかに赴き、死んでるわけです。
社会の夢を壊さないように、それなりに努力して死んでるわけです。
周りの人がそれをトラウマに感じる、などという結果にだってはなって欲しくなかった筈だと思う。
多分そこまで考えがまわらなかったんじゃないだろうか。

2007年11月26日月曜日

替え歌

何でか知らないが急に思い付いた。

〜 一休さんのテーマのサビ 〜
望みは、高く、果・て・し・な・く♪

=>望みは、深く、底・知・れ・ず♪

2007年11月23日金曜日

「哲学入門」

ポール・グレアムの「哲学入門」っていうエッセイの日本語訳を読んだ。
なんか予想以上につまらない内容だった。次は、「宗教入門」だろうか。
PGは最近こういう類いの詰らない煽りを書くような気がする。なんでだろう。
哲学をハックする、ということなんだろうか。それが、PGの視点では新しいことなんだろうか。
実用的/実践的な哲学をアリストテレスから遡って構築しなおしてみる、ってのも別段新しいとも思えない。
というか構築しなおすなら、アリストテレスから連綿と続く哲学の体系は、別に必要ないんじゃないだろうか。
"哲学という權威"を解体してみたいってことのだろうか。
実践的というか実用的な哲学ということであれば、エッセイにも出てくるヴィトゲンシュタインが一番簡単で理解しやすいんじゃないかと思うし、PGの哲学の捉え直しというものが、ヴィトゲンシュタインの論理哲学論考の範囲を越えるとは思えない。
特にヴィトゲンシュタインの論理哲学論考は数学的な難解さは別にして、自力で自分の哲学を構築しただけに、歴史に負うところも無く単体で成立しているようなものなので理解もしやすく、言葉の定義もすっきり明確。芋蔓式に過去の哲学者を勉強したりする必要もない。箇条書になっていて適当に気に入ったところを考えてみたりすることができるので、意味のないことを考えることが趣味の人には良い問題集なんじゃないかと思う。後期はそうでもないけども…。
何が一番自分にしっくりこないのかと考えると、やっぱりこういう「ハック」というものは、結果とか意味とかが明確な有益なものにだけ有効な方法論なんじゃないかと自分は思っているからかもしれない。もしかしたら、哲学というのは、一生掛けて苦心惨憺して考えた末、結局何にも生していないような哲学者の生涯を観賞して楽しむものなのかもしれない。何にしろ役になんか立たないし、何かが分かるようになるとも思えない。

2007年11月19日月曜日

読んだ本.63

(164)ももこの70年代手帖 / さくら ももこ

70年代の最古の記憶をTV番組の記憶を元にがんばって思い出してみた。
小松政夫の電線音頭が最古だと思う。当時、3、4歳。キャンディーズがいた頃が一番好きだったので、78年以前なのは間違いない。ベンジャミン伊東とか最高だったね。
いやしかし、飛べ!孫悟空の方が古いかもしれない。これまた、77年〜79年らしいので、これも3、4歳。スーパーモンキー、あらわる、あらわるーーー。とか、ニンニキニキニキとか。
日本の特撮版のスパイダーマンの第一話を見た記憶は確実にあって、これは、1978年5月なので、4歳になった直後。スパイダーマンなのに巨大ロボットで闘ったりするのだった。

2007年11月18日日曜日

童謡「クラリネットこわしちゃった」の解釈

まったくもってどうでも良いことなのだが、「クラリネットこわしちゃった」の歌詞の意味の解釈で疑問がある。
解釈A)主人公の子供は、実際に壊したのだ。
解釈B)主人公の子供は、クラリネットが初心者には難しくて最初から音がまともに出ないことを知らず壊したと思いこんだのだ。
自分は、断然解釈Bだと思うんだけど、どうなんだろう。
ググってみた感じでは、解釈Aの方が圧倒的に多いっぽい。だが、しかし、子供らしい可愛いらしさという点でも断然Bでしょう。
以上、非常にどうでも良い疑問でした。

2007年11月15日木曜日

途中まで読んだ 11/15

インターネットを創った人たち / 脇 英世
P156まで。

PCを新しくした

6年ぶりに所謂普通のインテルが入ってるPCを新しくした。
前のは、友達のお古のマザーを元に自作、そして、今回は、別の友達のお古のマザーを元に自作。いつも廃品回収している。
この6年Pentium III 1GHzをずっと使ってきたところを、Core2duo E6600 2.4GHzに変更。メモリは4GBにした。
しかし、きちんと計画して部品を買わなかったことが災いして色々とはまってしまった。
そして、このマザーが曲者で、ドライブの認識に癖があり、調べるとLinux関係では、ハマりまくってる人が沢山いた。なんてことだ。今は、IDEと、SATAの過渡期といった感じで、SATAにどんどん移行している最中ということもあり、IDEはおまけで付いてきてたりする感じなんだけど、このマザーはおまけのIDEが色々変な振舞いをしているらしい。
ということで、IDEは捨てて、DVDなども全部SATAにしてしまえば良いのだけれど、SATAのDVDなんて持ってない。ということで、変換基盤とか買わないと…。
とりあえずは、32bit環境では、Ubuntu 7.10が動くようになったのでまあ良いけど、メモリを3.3Gしか認識してくれない。まあ、32bit Linuxですからねと。
しかし、64bit Ubuntuだとブートするときに、カーネルを読み込ませた時に落ちる。Momongaだと、Xを起動するときに落ちる。なんなんでしょう。64bit VMKNOPPIXだとDVDからブートしてるのに、デバイスの再認識で、DVDが見付からなくなる(これはおまけのIDEの所為なのでしょうがない) まだまだ、自作のIntel 64bit環境は面倒臭そうだなあ。でも、メモリ勿體無いいし、元々64bitマシンのエミュレータ動かしたかったのが新しくした動機でもあるので64bitで動いて欲しいんだなあああ。しかし、このbloggerになってから、読む人のことを意識することが少なくなってしまったためか書いてる自分にさえ、非常に読み辛いというか、てにをはも変だし、やっぱり文章は何にしろ、読んで貰うことを考えながら書かないと駄目なんでしょうね。

2007年11月10日土曜日

RSSリーダー

RSSリーダーは、FirefoxのSageを1年か2年使っていてその後は、Livedoor Readerをちょっと使って、Google Readerに乗り換えた。Google Readerも多分1年位は使ってると思う。がここに来てまたLivedoorを使ってみることにした。
以前と比べてショートカットキーでサクサク記事を繰っていくことができるようになっていて良くなったと思う。キーのアサインは、Google Readerとなんとなく同じ、というか、エディタのviとemacsを足した感じに同じ。前からLivedoor Readerは軽快だったけど、Google Readerより軽快。
でも、Livedoor Readerは既読の記事をまた取ってきたりする。この辺は、Google Readerが賢いんだろう。そんなこんなで結局Google Readerに戻ってしまいそうな、しまわなそうな。

2007年11月8日木曜日

露出狂の唄

いつもの様に飯屋で晩ご飯を食べていたが、隣の席の女性二人組が痴漢体験とか露出狂のおっさん体験とかの話で盛り上がっていて、意外にも自分はなんだか嫌な気分になった。というか或る意味、隣の二人組は痴漢の類と同類じゃないのか、とか思った。
とか考えている時にふと掲示板などに心ない書き込みをする類の人達は、こういう痴漢とか露出狂の人達と非常に近いモチベーションで行動してるんじゃないだろうかという考えが浮んだ。飛躍しすぎだけど。
実は、心ない誹謗中傷をするってのは、もの凄く気持ちが良いことなんじゃないだろうか。
衆目が集っているところで、その行為に至るという、その快感。好きな人にはたまらないのではないだろうか。
極端な差別主義者とか、誹謗中傷をしたりする人は沢山いると思うけれど、別に主張がある訳じゃなくて、単に沢山の人に見られるところで、やってはいけないことをするのが、もの凄く変な意味で気持ちが良いからやってるだけなんじゃないだろうか。つまり変態。

2007年11月5日月曜日

読んだ本.62

(162) わだばゴッホになる / 棟方 志功
(163) 洗脳原論 / 苫米地 英人
MITの人工知能 /
エキスパートツールのツールと技術:過去、現在、未来  Peter Szolovits
人口知能とソフトウェア工学: Charles Rich, Richard C. Waters

洗脳原論は、一部トンデモ系で有名なトマベッチの本。この人は凄いんだか、トンデモなんだか謎だ。まあ、トンデモなんだろうけど。この人は元々人工知能系の学者らしく、Apache互換の動きをするLispで実装されたhttpサーバLispacheを作ってる会社の社長でもあるらしい。Lisp界隈って日本も海外もいかれ気味の人が多い気がする。内容は、まともなことを言ってるところもあるようで、自慢話に終始しているような、なんだか良く分からない本。トンデモ系の人々についての批判で、ある種、想像力の大きな欠如ってのは、まあ、そうだと思う。妖精が見えたり、心霊が見えたりするのは想像力が逞しいとも言えるけれど、ある種の想像力が貧困な所為とも言えると思う。全然関係ないけど、大人が驚嘆して語る子供の想像力の自由さ豊かさについても自分は同じように思うことがある。自分はひねくれてるのかもしれないが、子供が豊かな発想をすると感じたことはあまりない。自分自身の子供時代を振り返ってみれば分かると思うんだけど、驚嘆してる人に限って自分が子供の頃どう感じてどう考えていたかを忘れちゃったのかなとも思う。自分は、子供の絵は好きで良く見るけども、型にはまっていることに関しては大人も子供も同じ位の割合じゃないかと思う。パウル・クレーが子供の絵に感心を持って研究したという話があるけれど、クレーは研究して自分の糧にした後、子供の絵について、所詮子供の絵だね、俺はもっと自由に描ける、みたいなことを言ってたという朧げな記憶があるけど、こういう姿勢が一番好きというか真面目に向き合ってると思う。まあ、どっちの立場に立っても、相手側は想像力が貧困に見えるんだろう。

2007年10月31日水曜日

2007-10-31(Wed)

前にここでも書いたプログラムを投稿して競い合うサイトがα版だったのがβになったそうで、それはそれでおめでたいことなんだろうけど、主催者の発表を読んでなんかすっきりしないものを感じてしまった。
実は、プログラムを投稿して競い合うのは飽くまで手段であって真の目的は、言語間でのクロスリファレンス的なものを作ることなのです、みたいな宣言とか、
たとえこの計画が頓挫しても、集められたフリーな素材は他のプロジェクトでも有用に生かされると思う、とか、
目指している目的は、非常に素晴らしいと思うけど、なんか参加者不在感というか、なんというか、この高尚な目的に多分誰も文句を言う人はいないだろうけど、なんかこの主催者の独り善がり感というか。
別に最初から、コードの投稿も競い合ってるうちに、リファレンスも作れて一石二鳥なのです、とかそのまま説明してても全然問題ないだろうに。
まあ、犀坊Zのラボってことでなんでもかんでも実験なんだろうけど、今後これ以上活況を呈することはないとみた。というか7月に設置されたそうだけれど、履歴をみる限りでは、自分が参加した9月頃には、もうピークは過ぎてた様子。

2007年10月28日日曜日

コカコーラの景品

今年の夏のコカコーラにはシールが貼ってあって、当たるとiTunesストアから一曲ダウンロードできるというものだったが、どういう訳か3本に一本のくらいの高確率で当たっていたので、16曲分たまった。
11/30日までにダウンロード登録しないと無効になってしまうので、忘れる前に登録してダウンロードすることに。
iPodもiTunesもずっと使っていたけどiTunes StoreはDRMのロックが掛っていたりするのが嫌だったので今回初めて。
アカウントを作ってみると自分がダウンロードしたい曲は案外DRMフリーのiTunes Plusで賄えることが判明した。
折角ダウンロードするなら店頭では買えないようなのにしようと思って選択
Frank Tiberi: 4 Brothers 7 全11曲
メシアン:黒ツグミ 1曲
メシアン:美しき水の祭典の oraison 1曲
Michael Manring SOLILOQUYからSelene 1曲
Alex de Grassi, Christopher Garcia & Michael Manringから2曲
Frank Tiberiはまともな音源を聴いたことがなく今回初。なかなか良かった。多分Disk Unionにも置かれるか置かれないかのマイナーさだと思う。
マンリングのSeleneはYouTubeで発見してアルバムで聴いてみたいなーと思っていたので、これだけDRMロックが掛っているけどダウンロードしてみた。でも、YouTubeの方が良い演奏してる気が。
メシアンのoraisonは150円ならかなりお買い得。オンド・マルトノの4重奏ってのもなかなか聴けないと思うし名曲。
黒つぐみはこれ一曲のためにアルバム買うのもちょっとな、と思っていたものだったので単品買いできて良かった。
色んな演奏があったので視聴で聞き比べしてみた。パユの演奏が一番好みだったのでそれに決定。

2007年10月26日金曜日

ムーたち

最近モーニングに榎本俊二のムーたちが載ってないなーと思っていたら先月連載が終わっていた。最近連載終了に気づかないパターンが多い。多分、最終話も読んでるな。

2007年10月25日木曜日

気付き

ちょっと前から、「気付き」っていうフレーズを目にするようになって来た気がするんだけど、これってどの辺が発生元になってるんざましょ。大概使われてる文章って胡散臭いのが多いんだけども…。「ニューエイジ 気付き」でググってみると、自分が胡散臭さを感じる使われ方をしているページが沢山ヒットする。この辺かしら。

コピペに不自由する

最近はずっとLinux(Ubuntu)がメインの環境なんだけれど、bloggerだとEmacsで書いた文章をコピペするのが面倒臭い。何で面倒臭いかといえば、X-WindowのコピペのスタイルとWindowsや、MacOSXのコピペのスタイルが違うってのがある。X-Windowは、範囲を選択して、C-cや、Command-cではなくて、範囲を選択した時点でコピーバッファに入る。
これだけに統一されていればまだ良いのだけれど、C-c風の操作も可能だったり、ブラウザ側のスクリプトでコピペを制御したりと何でもありで入り乱れ過ぎ。
ということで、ブラウザのテキスト入力の範囲をエディタに飛してくれるツールの使用を復活させることにした。一時期常用していたけれど、Macだと統一されているので無くても不便でなかったというのがある。
ちなみにfirefoxのアドオンのIt's all textってのが自分のお勧めです。

2007年10月24日水曜日

Leopard様

今週の金曜に発売になるMacOSX Leopard。買おうかどうか迷っていたが、必要スペックを見てびっくり、iBook G4 800MHzじゃ動かないじゃないか。必要クロック867MHz以上ということで微妙に足りない。
Leopardはそんなに重いのかい。
まあいいや、自由なOSじゃないしね。やっぱり、OSは自由なOSに限るよね、などと負け惜しみを言ってみる。
まあ、仮に動いたとして、今回から搭載される目玉機能のTime Machineは、我が家のような、NFSで共有しまくりの環境では、動作が非常に重くなる予感がする。まあそれは、ギガビットイーサにすれば良いのか、ちくしょう。
自分が4年前にiBookを買った動機としては、やっぱり当時MacOSXが非常に魅力的だったからだと思う。
綺麗なUI、フォント環境、UNIX環境、主要商用ソフトメーカーのソフトの存在。
これら全部をいいとこどりした環境だったと思う。当時UNIX系のOSが好きな人が結構iBook買ってたような記憶がある。
この4年で綺麗なUI、フォント環境はLinux上でも十分になってきた。むしろデスクトップを掴んでグルグル回したりとか、窓がブルブル震えたりとか無駄で無用な派手さということでは、MacOSXよりもVistaよりも凄くなってしまった。ただデザイナーが統一されたUIを設計したりしているわけではないと思うので、そのあたりの操作感の不統一感というのは、目に見えてあるとは思う。これは開発体制が違うので今後も多分ずーっとあると思う。UI専門にデザインするプロジェクトと会社もあったけど、資金繰りが厳しくて潰れたと記憶している。
主要ソフトメーカーの対応というところでは、昔より段違いに良くなっている。まあ、デスクトップアプリケーションはまだまだだけれども…。
UNIX環境という面では、MacOSXは細かいところが色々面倒なので結局Linuxか、普通のFreeBSDの方が良い、ってことになってるんじゃないだろうか。MacOSXはBSDではあるんだけど、NeXT由来のところの癖の対策というか必要になる追加知識の収集などが結構面倒臭い(どんどん普通のUNIXっぽくはなってきているけれど)
それで、結論としては、結局のところ、FirefoxとEmacsと、シェルとLispの処理系が動けばなんでも良くて、できればフォントが綺麗だったら最高、という位のものなので、現状のTigerででいいや。というかもうMacOSXである必要さえない。もちろんLeopardが動いたら発売日に買ったさーーーー。

2007年10月23日火曜日

自分にそっくりな人は3人いるのかどうか

del.icio.usはユーザーごとにそのユーザーが登録したブックマークをRSSで取得できるので、結構前から波長が合う人のをRSSリーダーに登録している。
そのなかでもいつでも自分が面白いなと感じるようなものをブックマークしている人と同じIDの人が、Last.fmでも隣人になっていたのだった。そんなにありふれた名前でもないので多分同一の人だと思うけれど、波長が合い過ぎて恐い。Last.fmは投稿が重たいので、もう全然使ってないけど、del.icio.usに関しては、面白そうな話題(というか読んで面白かったという感覚が共通している)をどんどん拾って来てくれるので、自分にとっては有名どころのニュースサイトやまとめサイトより、ずっと価値があるのだった。

2007年10月21日日曜日

虚を突かれることもある

いつものパスタ屋で食べ終り、会計のレジで仕事は決まりましたか、と尋ねられる。
一瞬、げへ、とかいって固まり、いえ…とだけ言ってまた固まった。
じゃあ、ここで働くとかどうですかね、ただでパスタ食べられますよ、ただですよ、ここ結構バイト募集してますよと、言われ、何も思い付かなかったので、「あー、それは、夢のようですねー」「ありがとうございますー」とか適当に返してしまった。
後で考えると「夢のようですね」ってのがなんか小馬鹿にしてるようにしか聞こえない気がする。
いや、そういう気は全然なくて、ただで食べられるってことへのリアクションだったつもりだったんだけれども。
っていうか飲食系は自分は向いてないしな。おろおろしてしまうから。
っていうかそれ以前に働く意欲はもとよりに生きる意欲がないからな。

そもそもなんで、仕事決まったか、とか尋ねられたかといえば、前に、店に来る時間帯が変わったけど、何の仕事してるんですか?、と尋ねられ、一瞬、げへ、とかいって固まり、いや…、無職です…、とだけ言ってまた固まってしまうようなことがあったのだった。

途中まで読んだ 10/21

神は妄想である−宗教との決別− / リチャード・ドーキンス P140まで
ニーチェ (中) / マルティン・ハイデガー P282まで

「神は妄想である」は延々と神が存在しないことと宗教の害惡について述べているっぽい。かなりしつこいんだけど、これがドーキンス節なのか。しかし、アメリカで無神論者が非常に肩身が狭い思いをしているってのは初めて知った。本当なのだろうか。

ニーチェ (中)は、いつものハイデガー節の本。ニーチェの文献を丁寧に丁寧に解説。しかし、自分は、ニーチェの何が凄いのか全然分からない。結局ロックスターみたいなもんなのだろうか。ただこの本の中にニーチェの言葉として出てくる、「ものごとの誤謬/真理の根拠というものは、ただ生物学的なものに由来するのみである」(非常にうろおぼえ)という見方は凄いと思った。凄いとおもったけど、うろ覚え。でも、それはアリストテレスも言ってたらしい。
ニーチェ+生物学的なにか、とくるとナチっぽいけど、たとえば、「この寿司美味しい!」っていう真理は、味覚がもたらしているもので、それに根拠を求めてもその先にはなにもないわよねー、ってくらいのことだと思ってます。
ナチっていえば、ハイデガーはナチに加担したってことで批判されてますが、ここでの解釈は、全然ナチ的ではないです。まあ、でも、ハイデガー自身は、ハイル・ヒトラー!とか手紙に書いたりしてますけどねー。

2007年10月19日金曜日

また、ブログ作ってみた

Bloggerはポンポン作れるところが楽しい。
英語が全然だめな自分が無謀にも技術文章を翻訳してみようというブログ。
普段英語の文章はまず第一にスルーするけれど、今のところ面白い論文とか読みたい文章はやっぱり英語圏にしか存在しないので挑戦してみる。
英検5級以下の人がLispの技術文章を勝手に翻訳し散らかすブログ
お友達の皆さま方はみんな英語が異常に達者な人ばかりなので色々つっこんでもらえると嬉しいです。

2007年10月16日火曜日

プー太郎生活 200日記念

あっという間のようなそうでもないような感じでプー太郎生活も今日で200日目を迎えた。
この200日間の活動といえば、起きて、飯食って、寝て、の繰り返し+Lispのコード読んでみたり書いてみたり。
小学校の時Basicのプログラムを組んでた時以来の執着ぶりかもしれない。
プログラミングはできるようにはなりたかったけれど、まったく熱中することもなかった。
シェルスクリプトはUNIXで生活するには必須な感じなので、シェルスクリプトは書けるけど、それからちょっと応用のきくPerlや、Cはさっぱりだった。
ちょっと作ってみるけど、すぐ忘れるし。全然修得できなかった。
修得できないという点では、Lispも同じなんだけれども、Lispは自分で言語を拡張できるので、それが面白い。
その辺が「目的」と「手段」だと、断然「手段」に執着してしまう自分の琴線に触れたのかもしれない。
何も作らなくてもいじってるだけで相当時間がつぶせる気がする。
そんな感じで、プログラムのお題の解答を競って投稿するっていうサイトにも参加したりしてみている。
やっぱり、どこの世界も凄い人は凄いなと感心。
自分はまったくもってうんこちゃんなプログラムを投稿しまくって場を汚してる気がするが、苦情が来る程でもないのでとりあえず、投稿し続けている。
独りでこそこそやってるよりは、人前に晒された方がやっぱり何倍も勉強になることが多いので良しとする。

さて、今後
100日後は、2008年 1月 24日
200日後は、2008年 5月 3日
300日後は、2008年 8月 11日
400日後は、2008年 11月 19日
500日後は、2009年 2月 27日
となっているが、どこまで行けるのだろうかー。

読んだ本.61

(161) JOE ZAWINUL on the creative process—ウェザー・リポートの真実 / 山下 邦彦

2007年10月15日月曜日

ZAWINUL

ウェザー・リポートの真実(JOE ZAWINUL on the creative process)っていう本を読んでみている。ザビヌルの仕事を詳細なインタビューをすることによって解説した本。楽譜も多い。これを読む前までは、ザビヌルはだたの偉そうな親父だと思っていたが、自分が好きなマイルスの70年代エレクトリックの曲は、殆どザビヌルの曲であることを知った。というか自分が考える70年代のエレクトリックマイルスの風味は、ザビヌル風味であることが分かった。そして、作曲/演奏のアプローチがちょっと変っていて、自分の即興を録音しておいて、後で気に入ったところを採譜して、少しも変えずその通りに演奏するというスタイルらしい。
ウェザー・リポートのジャコが弾いているラインも殆どザビヌルがこのプロセスで作ったものであるという。びっくりだ。しかも、ジャコに限らず、マイルスが即興してるんだと思ったところも、予めザビヌルが作っていたという軽い衝撃。譜面が沢山掲載されてるんだけれども、ベースラインや、メロディが本当に譜面に書いてあったりする。
なんで即興のように聴こえるかといえば、即興したものをきっちり演奏しているからという斜め上なアプローチ。もの凄い天才なのかもしれないけど、あんまり目立たないザビヌル。なんか恐い。

2007年10月14日日曜日

読んだ本.60

Steel Ball Run (13) / 荒木 飛呂彦
(159) フィラメント—漆原友紀作品集 / 漆原 友紀
(160) みんなのPython / 柴田 淳
あずみ 42 / 小山 ゆう
ホムンクルス 8 / 山本 英夫

2007年10月13日土曜日

勝ち負けにこだわる

自分は良く人様に勝負を挑むことが多いので、「また、そんな、人生勝ち負けじゃないですよ」とか嗜められることが良くあったりする。
自分としては、人生勝ち負けじゃないってのは当たり前の話で、なんで噛み合わないのかしら、それとも自分は、勝負挑み過ぎなのかしらん、とか思っていたが、視点が全然違うのかもしれないと、ふと思うのだった。
自分の視点としては、勝負を挑むというのは、自分の技量を高めるため、もしくは単に楽しみの為に挑んでいるというところがあって、別に勝ったからなんだって訳でもないし、負けたからどうしたという訳でもない。自分のレベルが上がればそれで良しという感じで、自分のレベルを上げるには人と楽しく競争するってのが一番だと思っているので、勝負を挑むという感じ。まあ、単に楽しいと思うんだけど。
でも、競争が嫌いって人は、そういう見方をしてる訳じゃないみたいで、どっちかっていうと、「負ける」ということに焦点を当てて考えてるっぽいなと思えてきた。単に負けるのが嫌い、もしくは、負けるとダメージを大きく受ける人な気もする。
多分、本人のレベルが上がることより、人に負けないということの方が大事なんだろうから、この辺が噛み合わないんだと思う。
それと、勝負事が嫌いな人が敗者に優しいかといえば、必ずしもそうでない気がする。多分この辺は、無關係なんじゃないだろうか。
似たところでは、妙な感じで妙に平等にこだわる妙な平等主義者の人には、平等なら誰にも負けてない、から平等が良い、みたいな主張を感じることがある。あんまりいないけど。
ただ、パターンとしては、「自分のレベル上げ重視派」と「人に負けるのが嫌派」以外に、「人を負かすのが好き派」なんかもいる気がする。
「人に負けるのが嫌派」と「人を負かすのが好き派」も自分にとってはつまらない。というか、勝負しても利益になることは少ない。
「人を負かすのが好き派」とは足の引っ張り合いになるし、「人に負けるのが嫌派」とも勝負にならないので、ある意味勝負開始前に足の引っ張り合いをすることになる。
とはいえ、このような勝負好きパターンが自分の行動全般に言えるかといえば、そうでもなく、勝ち負けでないにしろ、苦手なことというのは「人に負けるのが嫌派」的な行動をとっているように思える。なんというか火中の栗は拾えない。

2007年10月12日金曜日

Reverent Quizzes

ブログ眺めてたらReverent Quizzesってのが紹介されていた。
http://reverent.org/quizzes.html
暇なので挑戦

True art or a fake?
83%

Pollock or birds?
100%

Famous or unknown artist?
67%

An artist or an ape?
67%

「モーツァルトかサリエリか」はサーバが混んでるのか最後まで辿り着けない。そのうち挑戦してみよう。

2007年10月11日木曜日

黄粉大好きな子

「庭には二羽にわとり」的なものを思い付いてしまったので記録したい。

「きなこだいすき」と「きなこだいすきなこ」が交代で出現するパターンで「キナコダイス」が無限に繰り返せる。

黄粉大好きな子
黄粉大好きな子大好き
黄粉大好きな子大好きな子
黄粉大好きな子大好きな子大好き…

今日から

この6年位自前のサーバでブログを書いてきたのだけれど、Bloggerや、Hatenaを利用してみることにした。
一つのブログで様々なジャンルを纏めるというのもありだとは思うけど、一つのテーマに一つのブログってのは良いように思えてきた。それで、ここは、個人的に思ったこと、考えたことを、外部に記録したいんだというときに書くところ。
読むに耐えない、役に立たないことで埋まる予定。